大澤 秋津 official blog

或る市民ランナーの内省録

‟応援”についての意識の変化

郡山校宇都宮校の生徒の皆様、こんにちは!

英語科大澤 秋津(最近好きな四字熟語は焼畑農業)です。

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遠い異国の地の奇祭で処刑される東洋人の図

 今回は少し趣向を変えて、このブログを始めるきっかけの一つについて述べていきたいと思います。

 

 休校が決定した直後から生徒に対してどういうバックアップの方法がとれるのか、そして実際に長期に渡って自宅での学習を強いられる生徒自身が望むものは何か、についてずいぶんと考え続けてきました。これは現在完了進行形みたいなもので、今現在もこのブログがどれくらいお役に立てているのかについての強い確信はなく、いまだにより良い方法を模索しています。

 そもそも、最初の週末で簡単な課題とアドバイスを急遽プリント形式でまとめてみたものの、自分が生徒の立場だったら「これだけじゃ全然響かないな」という感触しか残りませんでした。「......これは違うな」と。

 そこで思い出したのは、市民ランナーとしてキツい練習を続けたり、未知の大会にエントリーしてみたり、ケガと辛抱強く向き合っていったり……そういった日々を支えてくれていたのは多くの先輩市民ランナーのブログでした。見えない場所で今日も同じよう練習しているランナーがいて、自分よりも大変な故障を抱えながらも諦めないランナーがいて、ウルトラマラソンとかトライアスロンにまで挑戦するランナーがいて……実際に面識はほとんどなくても、そういった彼らの存在は今でも僕の大きなモチベーションです。

 ……今度は自分がそういった役割を果たす番だ、と(半ば衝動的に)思い立って始めた部分は非常に大きいと今でも感じています。

 

 ここ最近、僕自身の中で‟応援すること”‟応援されること”の考え方に大きな変化があったことも一因です。多感だった中二病の頃、大人たちの無責任な「がんばれ!」の安売りに対してネガティブな気持ちを強くを感じていた余韻は、今でもどこかに強く残っています。だから‟他人を応援する以前に、まず自分が何か行動していること”は僕のprincipleであり、このブログを始めるにあたっても‟自分がやってもいないことを生徒には勧めない”がポリシーとなりました。

 

 市民ランナーとして大会を走っているとコース沿道から多くの声援や励ましの言葉をかけていただきます。まだまだ余裕がなかった最初の頃は、そういった応援に配慮するどころか、自分が走ることにとにかく精一杯でほとんど意識することはありませんでした。

 去年の郡山シティーラソンは、これまで大会本番に滅法強い僕が初めて経験する絶不調のレースで、どこまで走っても身体は重いままフラストレーションが募る展開でした。折り返し前で「自己ベスト更新は絶対無理である以上、このまま走り続けても意味がない」と諦めかけていた時、応援されている一人の女性の片腕に抱えられたクマのぬいぐるみに目がとまりました。連日写真に登場している、あのクマのぬいぐるみ(大きい方)と同じものだったのです。思わず見慣れた彼(?)の兄弟(?)に手を振って応え、それから僕はゴールまでとにかく可能な限り、沿道の応援にリアクションを返しながら走り続けました。はっきり言えば見栄と空元気です。でも、そうでもして虚勢を張り続けることで(絶不調にも関わらず)自己ベストよりも1分だけ遅いタイムでゴールできました。

 それまで僕はどこかで「走るのは自分自身との闘い」であり、それは「自分だけの闘い」で、他のランナーだろうが応援だろうが、最終的には自分以外は介在しない世界だと考えていました。でも、去年のあの日以来、‟レース中は苦しい時こそ(余裕がなくても)応援にリアクション”自分ルールとなっています。

 

 この意識の変化は非常に大きいものだったと思います。そして、この時の経験を根底に据えよう、そう思ってこのブログをスタートしました。