大澤 秋津 official blog

或る市民ランナーの内省録

In dreams begin the responsibilities.

 10年前の今日のあの瞬間、僕は郡山校の印刷機の前で春期講習の準備に勤しんでいました。これまで経験したことがないような揺れに「まずは出入口の確保だ!」と咄嗟に判断し、すぐに教務室の裏口のドアを開き、そのまま通路を走って校舎裏口のドアを全開にしてから、状況の確認のため一度外に出ました。

 あの時目にした光景と揺れは、無意識的に培われていた「揺れても最大このくらい」といった身勝手な予測を根底から崩壊させるに十分すぎる程で、パニック映画のハイライト・シーンのような状況下に他ならぬ自分がいることを認識することはできませんでした。

 駐車スペースの灰皿に剥離した壁の一部が落下して、上部の銀色の金属が僕の後頭部をかすめる様に飛んで行った瞬間は今でも鮮明に覚えています。

 

 震災と原発事故の直後、ある雑誌で当時好きだった作家の「東日本大震災から一週間、さてそろそろ復興だ」というコメントの無神経さが許せませんでした。作家という想像力が試される職業にありながら、その想像力が致命的なまでに欠落している人間の書いたものに価値を見出せなくなり、何よりその作家の人間性が一切信じられなくなって、二度と読まなくなりました。 

 

 一方で、あの時も、そしてこのコロナ禍でもよく思い出すのは、村上春樹氏の海辺のカフカの以下の部分です。

 

全ては想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力の中から始まる。イェーツが書いている。In dreams begin the responsibilities——まさにそのとおり。逆に言えば想像力のないところに責任は生じないのかもしれない。—p. 277-278

 

海辺のカフカ(上)(新潮文庫)

海辺のカフカ(上)(新潮文庫)

 

 

 そして、10年前のあの時以降、僕は‟人間の想像力は無限である”という‟正論”よりもむしろ、‟人間の想像力は有限である”という自覚と、その前提に立つこと座右の銘にしてきました。

 

 2015年、母親や妹たち家族と共に気仙沼三陸海岸周辺を見てまわりました。頭上12m上に張られた当時の津波の高さを示すロープ仮設住宅、未だ撤去されないままの陸地に打ち上げられた漁船、TVで何度も見た大川小学校......実際にその場所に立たなければ分からないことがいかに大きいかと同時に、それでも、その時にその場にいなかった自分が想像力でカバーできることがいかに小さいかも痛感しました。

 

 2018年、僕は走るという行為を通し己の肉体と対話することで、自分の限界を決めていたのは、他ならぬ自分の想像力だったということに気づかされました。

 当時の『円谷幸吉メモリアルマラソン』(ハーフ・マラソン)の練習での自己ベストは(確か)1時間52分。レース当日、僕の頭にあったのは「とにかく何としてでも1時間50分を切りたい!」ということでした。

 ゴール後、左手のウォッチで1時間42分のタイムを確認し、完走証でそれが間違いでないことがわかると、自分の想像力がむしろ自分の限界を規定していたことに唖然とし、そして軽い怒りが自身に対して沸いてきました。

 ゴールするまでの僕の頭には「とにかく1時間50分を切る!」しかなく、そこから先の世界については考えもしませんでした。具体的には1時間45分以内なんていうのは自分にとって到達不可能な未知の世界でした。実際は1時間42分で走れるだけのポテンシャルがあったにもかかわらず、自分で勝手に自分の限界を決めていただけだったのだ、と呆れてしまいました。

 

 これ以降、僕は何かに挑む際には現実的な目標に加え、‟ありえないくらいとんでもなくポジティヴな未来”についても、妄想に耽らぬ程度に、ちょっとだけ考えるようにしています。