大澤 秋津 official blog

或る市民ランナーの内省録

宇都宮校出講 最終日

 約10年前、視察を終えたばかりの偉い人に個室に呼ばれ「宇都宮校開講にあたり英語科の主戦力として是非君に出講して欲しい」と言われた時のことは今でもはっきりと覚えていて、以来この言葉に応えようという気持ちが僕のモチベーションの大きな部分となっていた。同時に、自分は御先祖様に呼ばれて宇都宮校へ出講することになったのだ、という必然性もずっと感じながら授業に臨んできた。

 母の生まれ故郷である宇都宮は僕にとっての第二の故郷であり、代々教師の母方の家系の中での‟四代目”という立ち位置を意識して、それこそ御先祖様のお膝元で授業をすることは大きなプレッシャーだったけれど、それは誇りでもあった。今思えば、この約10年間、僕は御先祖様に対して必死に何かを証明しようとしていたのだと思う。

 

 宇都宮校への出講の最終日、お昼の休憩で最初に向かったのは校舎から約10分の御先祖様のお墓。この場所に御先祖様がいるということ、ただそれだけでどれ程心強かったことか。墓前でいろいろ報告しているうちに気持ちが整理されるばかりでなく、お寺の入り口に掲げられる言葉にはいつも励まされてきた。

 

 この日、僕は羅針盤も地図も持たずとりあえず出航したようなもので、御先祖様に何をどう伝えるべきかを自分の中にまったく見い出せないままお寺へと歩を進めていた。

 

f:id:dragonfly_dynasty:20220304114216j:plain

 

 掲げられていたのは、いかにも祖父が、そして母が言いそうなメッセージ。今日、僕がここを訪れることを見越して用意されていたとしか思えなかった。この瞬間、何かがすっと腑に落ちたような気がした。

 

f:id:dragonfly_dynasty:20220304114209j:plain

 

 二荒山神社へ向かう途中、昔哲学科の授業でK教授が紹介したポール・ニザン『アデン・アラビア』のあの有名な冒頭部分がふと頭をよぎった。

 

僕は20歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどとは誰にも言わせまい。

 

 約10年間、やり切った。反省点を挙げればリストは1ページでは収まらない。ただ、そんなことよりも今は「楽しかった!」という感触がある。たとえ自己満足且つ自己完結であろうと、そう笑顔で言い切れるところまで本分は果たした。なくなるのは所詮ただの‟場”だけであって、これまで自分が、そして我々がこの10年間で築き上げたものはしっかりとそれぞれの内に残る。それは誰にも否定できない。

 

 また、御先祖様に呼ばれる日もあるかもしれない。その日のために腕を磨いておこう。