大澤 秋津 official blog

或る市民ランナーの内省録

新訳版『夜間飛行』を読んで

 星の王子さまでお馴染みサン=テグジュペリの作品の中でも特に文学史上屈指の名作の一つに挙げられる『夜間飛行』......ようやく読了しました!

 

ja.wikipedia.org

 

 旅に喩えられる読書という行為ですが、今回の僕の‟空の旅”離陸以前の段階から何度も頓挫しかけ、前半こそ登場人物のファビアン同様に順調に進むも、中盤から沸き起こる疑念を抱えつつ、それでもなんとか吹き荒れる嵐を超えて無事に‟着陸”できました。

 この行程を以下の3点から時系列順に振り返ろうと思います。

  1. 読むなら絶対新訳版!
  2. 詩的な描写はとことん脳内再生!
  3. 飽くまでも古き良き時代のフィクション!

 

1.読むなら絶対新訳版!

 宮崎駿大先生が表紙を描いておられるということもあり(※当ブログ執筆者はハードコアなジブリスト)、僕が最初に手にしたのは名訳としても大絶賛の新潮文庫版『夜間飛行』。ところが何度挑戦しても、鳥人間コンテスト初出場の機体の如くすぐに着水してしまい、結局10ページも読み進めることが出来ませんでした。

 文体が古すぎることに加え、(筆者ではなく)訳者の自己陶酔につくづく嫌気がさしたのが原因です。同じく新潮文庫版の『ペスト』(カミュ)の訳もかなりアレでしたが、それでもあちらは何とか読み切ることが出来ました。

 当初、‟歴史的名作&名訳”を正しく鑑賞することができない自分の読解力の欠如や貧弱な感性に落ち込みました。とても。でも同時に「ちょっと待て。もしかするとこの訳者、自分の気持ちのいいように原作者の文章を勝手に改竄しているんじゃないか?」と本能的に察するところがあり、その真偽について「じゃあ、新訳版で読んで確かめよう!」と新たな‟機体”で再び滑走路に臨んだ次第です。

 旧訳版の問題については専門の方々の議論にお任せしますが、一読者としてこの場を借りて言いたいことがあります。他人様の文章を訳しているうちに悦に入り、あたかも自分で書いているかのような錯覚に陥ってはいまいか、という強い自制心を常に働かせるのが訳者の使命であり、訳者は読者という‟乗客”と、オリジナルのテキストという‟航路”に対して最後まで責任を果たすべきである、と。

 

f:id:dragonfly_dynasty:20220309115539j:plain

‟良き操縦士”と共に素晴らしき空の旅を!

 

2.詩的な描写はとことん脳内再生!

 空から見た大地や星々、暗闇の中の稲光や暴力的な嵐といった描写は飛行機が未発達だった発表当時、新鮮さをもって迎えられたそうです。僕はもともと本を読むスピードが絶望的に遅い人種ですが、こういった情景描写の部分は脳裏にくっきりと浮かぶまで何度もページの途中で立ち往生していました

 最初はほんの数ページしか進まない日もありましたが、文体に慣れるにつれイメージがスムーズに固まるようになり、読み終えた後に初期の宮崎駿作品(厳密にはナウシカから紅の豚まで)の飛行シーンに通ずるものがあったことに気づきました。

 シンプルでそれほど言葉が多く費やされていないにもかかわらず、喚起される風景は旅客機の窓から眺めるそれよりもはるかに壮大です!

 

3.飽くまでも古き良き時代のフィクション!

 飛行士ファビアンの辿る航路の雲行きが怪しくなってくる中盤辺りから、僕の内にも何やら暗雲が立ち込めてきました。当初、総責任者であるリヴィエールの仕事に対する一貫性には多少共感できるところもあったのですが、ベテラン整備士を解雇する辺りから「それは違う!」という気持ちがどんどん強くなってきました。

 自分が直接命を懸けることなく、また、自分が関わる家族も持たずに、現場でない安全な場所から部下の生命よりも‟崇高な使命”とやらを頑なに守ろうとする態度は無責任であり、むしろリーダーとしての覚悟の欠如を感じました。自身に矛盾と葛藤を抱えながらも、‟人命よりも尊いものがある”と自身に言い聞かせ正当化を続ける自己欺瞞には怒りすら覚え、正直、何回か本をぶん投げようとしてその都度思いとどまりました。

 なのでラストの特に勝利者リヴィエール”という表現には未だに納得はいきませんが、読後から数日を経てわかってきたこともあります。そして、この‟発見”はこれから『夜間飛行』を読もうとする方々に是非知っておいていただきたいことでもあります。『夜間飛行』という作品は現在の我々が置かれた文脈から再考察するのではなく、どうか飽くまでも古き良き時代のフィクションととらえた上で読むべき作品なのです。

 『源氏物語』を読んで「そんなに不倫ばっかりして平安貴族の倫理観はどうなっとる!」と腹を立てる人はあまりいないと思います。また、コンプライアンスという概念が独り歩きを始めた昨今、昔の映画やドラマの再放送の際に冒頭で、‟現在では好ましくない表現が含まれますが、作品のオリジナルを尊重してそのまま放送します”といったテロップが流れます。あんな感じのテロップを『夜間飛行』に対して書くならこんなのはどうだろう。

 ‟この作品は現在のワーク&ライフバランスの概念から大きくかけ離れた、大空に懸ける飛行機バカたちの夢とロマン溢れる懐古物語であることを十分に踏まえた上で、絶景の空からの眺めと未知への挑戦を心ゆくまでお楽しみください。それでは良い空の旅を。