Standing on the higher ground
今月初頭より後期授業がスタートし、前期同様『東北大英語』の英作文の添削に追われる日々が戻って参りました。
実は夏期講習期間中、教科は違えど添削のベテランにあたる方にこれまでの自分の取り組みを伝え、改善点の指摘など教えを乞う機会がありました。
当初、担当科目が違う僕の唐突なお願いに先輩は驚かれていましたが、快くアドバイスをしていただけました。
技術的なことをここで述べるつもりはありませんが、添削におけるテクニカルな部分だけではなく、誰のために誰の目線でやるのか、といった心意気のような部分まで話し合い、共感する部分や共有する価値観が多かったことに気づきました。
教えていただいたことは後期開始一週目からすぐにフィードバックし、実践という形で預かった答案上で還元しています。先日、改めてお礼を申し上げると最後に「気楽に続けてください」というお言葉。
そういえばよく母からも"Take it easy!"的なことを言われていたことを思い出し、妥協せずにやられている方からのこの言葉の意味を噛み締めている今日この頃です。
今週は英検準1級の過去問を題材にしているので、かつてない添削量となったため近所のフリースペースで暫し奮戦。
英検といえば……福島県は英検の受検率は決して低くないのに、中高の英語レベルは全国最下位という原因をずっと考え続けている今日この頃。まだ仮説に過ぎないけれど、早めに自分の子どもに英検を取らせたいという親のエゴ(というか見栄)に、”とりあえず書ければいい”といういい加減な指導方針が加わった悪質な促成栽培こそが元凶の一因かと。
そして“とりあえず書ければいい”という指導をする人間が、そもそもちゃんとした英作文が書けないことがこの問題の背後にあるのでは。つまり、教える人間がちゃんと書けないから“とりあえず書ければいい“から先の指導ができない。この悪循環こそが諸悪の根源なのでは。
このような仮定に至る理由は簡単で、僕がこれまで教えを乞うてきた方々は“とりあえず書ければいい”なんて適当な妥協(というか逃げ)は一切しなかった。そして今、僕もそんな適当な姿勢で答案に、生徒に向き合っていない。
この『東北大英語』のクラスは言ってみればある種の特殊戦闘部隊(?)みたいなもので、たいへんありがたいことに教導隊隊長たる僕の「そつなく“安全運転モード”で書くのは本番当日。それまでは飽くなき向上を!」の戦闘訓練に闘志溢れる精鋭隊員の方々が自主参加を継続してくださっています(なんか例の映画みたいだ。僕はトム・クルーズはあまり好きじゃないけど)。誰一人、“とりあえず書ければいい”なんてレベルでの指導と妥協は求めていない。
だから、これまで僕に真剣に向き合ってくれた人たちと同等かそれ以上の熱量で、僕も向き合っていこうと思います。