村上春樹氏の新作について語るときに僕が語ること
お分かりの方も多いとは思いますが、今回のタイトルはこちらを意識したものです。
個人的には、村上春樹作品の中で他人様にも安心して勧めることができるほぼ唯一の本です。ご存じの様に、彼の作品の好き嫌いは非常に極端に分かれます。最初の数ページ読んで見て拒否反応が出たら、もぅムリです。最新の医学をもってしても克服は不可能。それに小説なんてのは、どんなに売れてようが名声が高かろうが自分の肌に合わなければ別に無理して読む必要はありません。
ただ、所謂アンチの方々からは親の仇の如く叩かれまくるという点で、村上氏はかなり特異な存在だと思います。その批判の矛先は文学的観点から飛躍し「登場人物の性格が生理的にムリ!」「カッコつけた文体が気持ち悪い!」といった非論理的レベルに至ることも。作品そのものではなく作家の趣味や人間性にまで論争がしばしば飛び火するという点で、確実に後世の日本文学史にその名を刻むと思われます。
……というか、別に彼がどこかの集落を間違って水没させたり、地球に衝突する巨大隕石の破壊ミッションに失敗した訳でもないのに、ここまで嫌われる存命中の作家も珍しいなと。
ここで一応、僕の立場を明確にしておくと……
- 彼の長編作品はほぼ全て読んでいる(『海辺のカフカ』が一番読んでいて楽しかったかも)。
- 前作『騎士団長殺し』は速攻で予約して、発売日に日付が変わった深夜に書店で受け取り、約一週間で読破。
- 『ノルウェーの森』は斜め読み。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』は僕の嫌いな文化人やアーティストに限って何故か大絶賛という呪われた因縁のため喰わず嫌い。
- とりわけ好きという訳でもないが、存命の日本人作家の中では読む価値がそれなりにあるという相対的な位置づけ。
- 毎年ノーベル文学賞発表の時期になるとメディアの取材にしゃしゃり出てくる”村上作品が好きな自分が大好き”な、肥大した自意識をコントロールする術を学ぶことなく齢を重ねた人種(=通称”ハルキスト”)が大嫌い(……というか、貴公、他の作家や古典作品の一つでもお読みになられましたかな?)
- 前述の理由から、村上作品をそれなりに読む=ハルキストと誤解されることはこの上ない屈辱で、それだけは死んでも避けたいと思っている。
- 作家性はともかく、ランナーとしての村上春樹やエルサレム賞受賞スピーチにおける彼の覚悟には深い尊敬の念を禁じえない。
……というビミョーすぎるスタンスです。自分でも書いていて「前世紀の少女漫画に出てくる幼馴染への片想いを拗らせた小学校高学年女子並に面倒くさいなぁ」と呆れる始末。
新作?もちろん予約します。
この記事を書いている2月13日現在、作品タイトルを含め詳細はまだまだ不明ですが、把握している情報をまとめると、
- 発売日は2023年4月13日(木)お値段 2,970円(税込)
- 1200枚に及ぶ6年ぶりの書き下ろし長編
- 初版本に村上春樹本人と次回のサイン会で握手できる券はついていない
といったところ。
今度の新作に対して思うことは……
- どっかの作品からパクってきたダサいタイトルはもぅやめにして、ちゃんとしたオリジナリティのあるタイトルを自分でつけることで、表題からきっちり自分の作品に向き合う姿勢と責任を示してほしい(前作の予約の際、書店の店員さんが『騎士団長殺し』と記入するのを見て「それ作品名なんですか?」と3回確認した)。
- 作中で井戸に潜るのはもぅ飽きました。食傷気味です(前作『騎士団長殺し』が冗長な村上作品ベスト版と評されるのは、過去の自作品の集大成と反復に終始し、新鮮味がなかったからかと)。
- 前述の井戸をくぐり抜ける行為や「集合的無意識」など、ユングの理論やモチーフからの脱却を。多少なりかじったことのある読者から見ると、借り物の世界観の中だけで同人誌的に物語が展開しているような印象。
- 心理描写や抽象的なイメージの展開のために、クラシックやジャズを劇中で流すような既存の作品の力を借りた雰囲気作りはもう結構です。別にそういうジャンルの音楽に詳しくない読者に対しても、物語を届ける姿勢を放棄しないでいただきたい。
- あまり指摘されていませんが、特に『海辺のカフカ』や『猫を棄てる』を読んでみると、どうも村上春樹という作家には父親との人間関係が大きな影響を与えていて、その反動からああいった斜に構えた文体や河合隼雄氏への傾倒が生まれたのではと。そんな一種のエディプスコンプレックスから作品を通して自らを解き放つことができるのか?が新作の一番の注目ポイント。
先日、映画館で見た『THE FIRST SLAM DUNK』には、原作の漫画の連載終了後から現在に至るまでの井上雄彦先生の歩みというか、重みというか、わかりやすく言えば人間的成熟が作品にしっかりと刻まれ、それだけの厚みを与えていると思いました。
ノーベル賞を獲れない理由はわかりませんが、思いあたるところは結構あります。もしかするとそれは、前述のように作家として作品を読み手に伝える姿勢や覚悟の欠如と、自らの問題を作品に反映しつつ昇華するということが未だにできないでいる点かもしれません。
このまま凡百の老害作家に成り果てることだけはないことを祈りつつ、次の休みに予約をしに行きます。