大澤 秋津 official blog

或る市民ランナーの内省録

2022年度の最後に

 明日からの新年度を迎えるにあたり、2022年度を振り返るならば、“多くの困難に関わらず、20年のキャリアの中でも特に技術の向上が実感できた年度”と言えるだろう。

 多くの困難……2021年11月末に母が交通事故に遭い、その直後に宇都宮校の閉校が決定した時点で、このままキャリアを続けられるのか、続けていいものか散々迷った。そして、このような状況のままキャリアを続けることで次年度の生徒に対して最高の授業が提供できるのかが不安の焦点だった。

 それでも母ならば恐らく「続けろ」と背中を押していただろう。母方は代々教師の家系で、僕は少なくとも四代目だ。教師の覚悟はDNAレベルで刻まれている。そして、自分の技術が自分自身だけのものではなく、むしろ英語教師である母からどれほど多くのことを学んだか、そしてそのおかげで今日の自分があることを、皮肉なことに事故以来、教壇に立つごとに感じてきた。だから、この技術を伝えることを、ここで止めるわけにはいかなかった

 

 僕が高校1年生の頃、退職を目前に控えた物理の担当が今考えても(教える技術だけでなく人間としても)どうしようもないレベルで、簡単に言えば“教科担当ガチャ”のスーパーレアな大失敗を引いたかたちとなった。もしかすると、将来物理の方面で才能を発揮したかも知れない生徒がいたかもしれないが(もちろんそのリストに僕の名前はない)、その萌芽をことごとく蹂躙するような授業だった。あと一年遅ければ被害者にならずに、と何度も思った。

 この経験があって、2022年度を始めるにあたり「続けるべきか?続けていいのか?」の迷いがあった。もしかすると前述の要因で僕のキャリアは2021年度で終わっていたかもしれない。僕がここからあと一年続けることで、かつての僕のような“犠牲者”が出ることだけはあってはならない。本来終わっていたかもしれないキャリアを続けるにあたり、そういうことにだけはならないよう、出来る限り最高の授業をする、そう覚悟してスタートした年度だった

 

 二年連続で自分の所属先の閉校の決定を聞くことは、なかなか受け入れらることではない。ただ、通常の授業に加え、英作文の毎週の添削と後期から記述・論述に特化した授業に全力で取り組んだことが自身の大きな成長のきっかけになっていった。どちらも時間と労力をあるだけ要するようなたいへんな授業だったが、そのおかげで英検1級を取得する過程で自身が学んだことを自分の中で再認識し、今度は生徒へと還元することができた。母がよく「所詮、英検1級はただのスタートライン」と言っていたが、それはこのことだった。英検1級を取得しただけで終わる人間と、そこから英語教師としてさらにステップアップしていく人間がいる。……僕は後者だ。ようやくスタートラインから一歩踏み出せた

 それまでも散発的に英作文の添削はやってきた。ただ、ここまで集中的且つ継続的にやったのは初めてで、これは2021年度までの自分の技術ではちゃんとできなかったことだと思う。つまり、本来なかったかもしれない2022年度を覚悟をもって引き受けたことで、これまでできなかったことが日々、少しずつできるようになっていった

 

 ある先輩から今後のことを訊かれたので「セカンドキャリアは、石垣島地産地消をテーマにした古民家風カフェを開いて……」と、いつものように適当なことを淡々と述べていたら「だめ!その才能がもったいない!無駄にするな!」と本気で叱られた

 別な方からは「キャリアを通してここまで努力して実力を上げていった講師を他に知らない」と、最後に信じられないような言葉をいただいた。涙が止まらなかった。

 年末年始にかけて最後の挨拶を交わす中で改めてわかったことは、僕が一目置いている方々から、僕も同じように一目置いていただけたということ。この点で僕は恵まれていた。

 

 悔いはない、とは言えない。何より、共に闘ってきた生徒の報告の声を直接聞きたかった。本人に対して「合格おめでとう!」と言いたかった。

 本来なかったかもしれないこの1年の中で僕が伝えてきたことが、少しでもこれからの学びの中で役に立つようなことがあれば、2022年度、僕は自分の本分を果たせたのかもしれない。

 僕もかつての受験生で、そして浪人生だった。そして、間違いなく2022年度はあの頃の何十倍も勉強してきた。だから、最後に「この一年が人生の努力のピークにならないよう、常に自己ベスト更新を!」と伝えたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

干支一周分巡った世界の中で

 12年前の午後2時46分頃、僕は大型プリンターの前で編集を終えたばかりの自分の春期講習テキストの印刷を見守っていた。

 僕の立ち位置は職員用入口の近くだった。これまで経験したことがないレベルの突然の揺れに対して「まずは入口の確保だ!」と頭よりも身体が先に反応していたらしく、重い鉄製のドアを開け、次いで外のドアを開けて路上に出た。自分が目にしている光景は映画や漫画ではなく、自分の今立っている世界の全てがこれ程までに揺れ動くことが、ただただ信じられなかった。そんな僕の後頭部付近を剥離して落ちた壁の破片がかすめていった。

 その日の夜からの原発事故の、特に放射能という完全に不可視の恐怖に対しては心底怯えた。こんなことが本当に起こっていることが信じられなかった。

 震災から12年ということらしいが、僕を含めあの“現場”にいた当事者の記憶は未だ鮮明だ“風化”なんて言葉は、直接生命の危機にさらされることがなかった人間の、観念としての記憶にのみ適応されるものだと思っている。あの日から、そういう無意識の甘えを含んだ無反省の言葉は意識して使わないように心がけている。

 震災から数日後、父親の治療継続のため家族で愛知県豊橋市へ避難することになった。新幹線が止まり、電力調整のため信号機も動かなくなった状況での移動は困難を極め、なんなら短編小説が一本書けるくらい波乱ずくめだった。東京駅までは、この国全体で事態の重大さを共有しているような空気があった豊橋に到着し、ホテルで夕食をとっていると(確か広東料理だったと思う)、付近のテーブルからの「どうもあの辺りは大変なことになっているみたい」という言葉が僕の後頭部付近をかすめていった。

 豊橋駅では連日、大学生や高校生たちが募金活動に声を枯らしていたが、それ以外の通勤者たちとの間にはっきりとした温度差があった。発売されたばかりの雑誌に、当時好きだった作家の「震災から1週間、そろそろ復興だ」という言葉を目にし、もし故郷に戻れたら彼の著作は全て捨てようと決意を固めた。

 世界史を学ぶ中で「国家は時に国民を犠牲にする」という歴史はさんざん目の当たりにしたつもりだったが、まさか自分が政府から見殺しにされる可能性が現実にあるとは、その時まで認識できていなかった。そして、(自分も含め人間の想像力なんてものは無限どころかとてつもなく狭隘で、自分を棚に上げていることすら気づかずに人命よりも経済を盲信する人間たちが予想以上に多いということも学んだ。

 

 家族を豊橋に残し、避難から約1週間後、僕は一人郡山へ戻った。臨時の高速バスの隣に座った高齢の避難者の方とお話をしている最中、須賀川の道路沿いの工場の惨状に言葉を失った。帰宅後、普段見ないTVをつけると福島県民の歌が流れていた。ちゃんと歌詞を認識したのはその時が初めてで、素晴らしい歌だと思った。その日の夜、入浴中に震度4強の余震が襲った。

 

 復興を始めた街の中で、英語講師の自分には何ができるのかずっと自問自答していた。当時は「自分の出番はこの後だ」という暫定的な答えと、教育復興というぼんやりとした概念しか描けなかった。この時の反省から、コロナ禍に際しては、「教育を止めるな」という理念を行動に移した。

 

 あれから12年たった世界は、福島をどこかで置き去りしたまま緩やかに復興しつつ、今日もデジタルな繋がりの裏側で深く分断され続けている。そして、一英語講師として何よりも耐えられなかったことは、この県の英語レベルがいつの間にか全国最下位にまで落ちぶれていたことと、この惨状に自分は何もしてこなかったこと

 本来自分は最高レベルのサービスを提供すべきポジションにいながら、何ら地域への貢献ができなかったこの際、一切言い訳はすまい。全国との英語格差を是正すべき責任ある立場にありながら、むしろその格差を深めるような質の低いサービスの拡大に何もできなかった。

 

 映像授業の全てが悪いとは決して思わない。50点にも満たないような低レベルの生の授業や学生バイトの個別指導よりも、たとえ60点かそこらの映像授業でも得るものは確実に大きい。何より“教科担当ガチャ”から救われる生徒は確実にいる。ただ、経営的な理由教員の実力不足による“授業ができない”という実情を“授業をやらない”という看板で虚飾した場所がこれ以上増えたところで格差は是正されない。コンサルタントという名の“盗品市場”が場末で横行することに目を瞑れば、それこそが英語教育の地方格差の根源の一つだ。 

 

 あの日から干支一周分巡った世界の中で、まずは今の自分にできることにフォーカスし、そこから再び歩み始めようと思う

 

 

村上春樹氏の新作について語るときに僕が語ること

 お分かりの方も多いとは思いますが、今回のタイトルはこちらを意識したものです。

 個人的には、村上春樹作品の中で他人様にも安心して勧めることができるほぼ唯一の本です。ご存じの様に、彼の作品の好き嫌いは非常に極端に分かれます。最初の数ページ読んで見て拒否反応が出たら、もぅムリです。最新の医学をもってしても克服は不可能。それに小説なんてのは、どんなに売れてようが名声が高かろうが自分の肌に合わなければ別に無理して読む必要はありません

 ただ、所謂アンチの方々からは親の仇の如く叩かれまくるという点で、村上氏はかなり特異な存在だと思います。その批判の矛先は文学的観点から飛躍し「登場人物の性格が生理的にムリ!」「カッコつけた文体が気持ち悪い!といった非論理的レベルに至ることも。作品そのものではなく作家の趣味や人間性にまで論争がしばしば飛び火するという点で、確実に後世の日本文学史にその名を刻むと思われます。

 ……というか、別に彼がどこかの集落を間違って水没させたり、地球に衝突する巨大隕石の破壊ミッションに失敗した訳でもないのに、ここまで嫌われる存命中の作家も珍しいなと。

 

 ここで一応、僕の立場を明確にしておくと……

  1. 彼の長編作品はほぼ全て読んでいる海辺のカフカが一番読んでいて楽しかったかも)。
  2. 前作騎士団長殺し速攻で予約して、発売日に日付が変わった深夜に書店で受け取り約一週間で読破
  3. ノルウェーの森』は斜め読み。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』は僕の嫌いな文化人やアーティストに限って何故か大絶賛という呪われた因縁のため喰わず嫌い
  4. とりわけ好きという訳でもないが、存命の日本人作家の中では読む価値がそれなりにあるという相対的な位置づけ。
  5. 毎年ノーベル文学賞発表の時期になるとメディアの取材にしゃしゃり出てくる”村上作品が好きな自分が大好き”な、肥大した自意識をコントロールする術を学ぶことなく齢を重ねた人種(=通称”ハルキスト”)が大嫌い(……というか、貴公、他の作家や古典作品の一つでもお読みになられましたかな?)
  6. 前述の理由から、村上作品をそれなりに読む=ハルキストと誤解されることはこの上ない屈辱で、それだけは死んでも避けたいと思っている。
  7. 作家性はともかく、ランナーとしての村上春樹エルサレム賞受賞スピーチにおける彼の覚悟には深い尊敬の念を禁じえない

 ……というビミョーすぎるスタンスです。自分でも書いていて「前世紀の少女漫画に出てくる幼馴染への片想いを拗らせた小学校高学年女子並に面倒くさいなぁ」と呆れる始末。

 新作?もちろん予約します

 

 この記事を書いている2月13日現在、作品タイトルを含め詳細はまだまだ不明ですが、把握している情報をまとめると、

  1. 発売日は2023年4月13日(木)お値段 2,970円(税込)
  2. 1200枚に及ぶ6年ぶりの書き下ろし長編 
  3. 初版本村上春樹本人と次回のサイン会で握手できる券ついていない

といったところ。

 

 今度の新作に対して思うことは……

  1. どっかの作品からパクってきたダサいタイトルはもぅやめにして、ちゃんとしたオリジナリティのあるタイトルを自分でつけることで、表題からきっちり自分の作品に向き合う姿勢と責任を示してほしい(前作の予約の際、書店の店員さんが騎士団長殺しと記入するのを見て「それ作品名なんですか?」3回確認した)。
  2. 作中で井戸に潜るのはもぅ飽きました食傷気味です(前作『騎士団長殺し』が冗長な村上作品ベスト版と評されるのは、過去の自作品の集大成と反復に終始し、新鮮味がなかったからかと)。
  3. 前述の井戸をくぐり抜ける行為や集合的無意識など、ユングの理論やモチーフからの脱却を。多少なりかじったことのある読者から見ると、借り物の世界観の中だけで同人誌的に物語が展開しているような印象
  4. 心理描写や抽象的なイメージの展開のために、クラシックやジャズを劇中で流すような既存の作品の力を借りた雰囲気作りはもう結構です。別にそういうジャンルの音楽に詳しくない読者に対しても、物語を届ける姿勢を放棄しないでいただきたい
  5. あまり指摘されていませんが、特に海辺のカフカ『猫を棄てる』を読んでみると、どうも村上春樹という作家には父親との人間関係が大きな影響を与えていて、その反動からああいった斜に構えた文体河合隼雄氏への傾倒が生まれたのではと。そんな一種のエディプスコンプレックスから作品を通して自らを解き放つことができるのか?が新作の一番の注目ポイント。

 

 先日、映画館で見た『THE FIRST SLAM DUNKには、原作の漫画の連載終了後から現在に至るまでの井上雄彦先生の歩みというか、重みというか、わかりやすく言えば人間的成熟が作品にしっかりと刻まれ、それだけの厚みを与えていると思いました。

 ノーベル賞を獲れない理由はわかりませんが、思いあたるところは結構あります。もしかするとそれは、前述のように作家として作品を読み手に伝える姿勢や覚悟の欠如と、自らの問題を作品に反映しつつ昇華するということが未だにできないでいる点かもしれません。

 このまま凡百の老害作家に成り果てることだけはないことを祈りつつ、次の休みに予約をしに行きます。

 

 

Just Two Decades

 最後の授業となった先日の『直前講習』の前日、家人と老舗の焼き鳥屋さんへ。両親共にお気に入りだったこの小さな名店への再訪は、コロナ禍のためにずっと保留だった。

 開店直後の店内には我々以外の客はなく、数年ぶりにお会いした店主もお元気そうで、カウンターに設置されたアクリル板と減らされた客席以外は一切何も変わっていない。店内に流れるのは僕の生まれる前後に流行したと思われるフォークソングこの空間だけ時間の流れが緩やかな錯覚に陥る。

 78歳になるという店主は、冠婚葬祭を除いて48年間、ずっとこのお店を営業されているとのこと。こういう方の足跡を敬意をもって要約するためにあるのが鉄人という言葉なのかもしれない。そもそも、お店自体の方が僕よりも先輩だ。

 奥様を亡くされて以降は、たった一人で自分の身の回りのこととお店のことを一手に引き受けて歩んでこられた。その時間がここにあり、何も変わっていないような雰囲気の中に、その歩みはしっかり蓄積されていて、そこに自分のような若輩が座っていることに少し引け目すら感じた。

 この日まで、どういう風にしてこれまでの20年間のキャリアに一区切りをつけるのか答えを見出せないままだった。どういう風に最後の授業に臨み、そしてどうやって締めくくるのか……具体的なイメージを全く描けないまま教壇に立っていいのかと自問自答を続けていた

 でも、最初の一串(ふんわりささみにおろしたての甘いわさびを添えて)をいただく前に、すでにそれはどうでも良くなっていた。僕の20年は、店主が歩んで来られた年月のたった半分にも満たない。最後の授業を前に、これまでの月日の重さを感じることがどうしても多くなっていた時期に、より大きな尺度を目の当たりにして、正しく相対化できた瞬間だった。….…おかげで最後まで焼き鳥に集中することができた。この日いただいたコースは提供された順番通り全て詳細に描写できる。

 

 その後、来店した筋金入りの常連様から美味しい焼酎の水割りを御馳走になり(焼酎が美味しいと感じたのは初めてかもしれない)、お会計を済ませて、ずっと気になっていた『THE FIRST SLAM DUNK』をようやく見ることができた。

 映画の感想を細かく述べようとするとどうしても感傷的になるので、それはまた別な機会になるかもしれない。ただ、母が交通事故に遭って以降、自分は目の前に迫るあらゆる決断や手続きにこれまでずっとほぼ一人で対処してきて、その中で自分の気持ちにちゃんと向き合い、時に解放することすら許されていなかったこと、それを自身に一切許してこなかったことに気づかされた。沖縄に戻ったリョータが秘密基地を再び訪れたシーンで

 

 この日の夜、僕の身の上と内側で起こったことは全て必然だったと結論づけている。おかげで、何かを意識して肩肘張ることもなく、フラットな状態で最後の教壇に上がれたいつものようにやるこれが求めていた答えだったことに、チャイムが鳴った後、気づいた。何かが終わったという実感がその日の夜に湧き上がることもなく、未だにその感覚はない。

 

 先日、メンターとしてお慕いしている方と小さな居酒屋さんでお話しする機会があった。聞けばそのお店も今年で50年。表現を変えれば半世紀だ。僕のキャリアどころか僕自身よりもその歩みは長い

 

 

 

極寒20km走 → 熊のあったかO♡MO♡TE♡NA♡SHI

 10年に一度クラスの最強寒波の到来を明日に控えた本日、予想最高気温はたったの5℃。一日中お家に引き篭もりたかったのですが、明日の予想最高気温は−4℃!「そんな中走れるか!じゃ、走るなら今日しかないじゃん」と、郊外に走りに行きました!

 この冬、寒さの中の練習をサポートする秘密兵器として大いに活躍しているのが、ワークマンバラクラバ(雑に説明するとフェイスマスクの一種)!workman.jp

 オススメの一品です。

 

 本日走った郡山市郊外の西部体育館から逢瀬公園を経由する1周ほぼ10kmの長方形のコースは、

  1. この時期、貯水池や田んぼに飛来した白鳥がただで見放題
  2. 信号で止められることはほぼ皆無!
  3. 遠くの山々、特に雪化粧の磐梯山が絶景
  4. 逢瀬公園の横の坂で心を折られる。でも、脚を鍛えるには最高!
  5. 約3km以上田んぼの真ん中をひたすら走る直線コースがある!

と、自分に厳しい(Mっ気の強い変態)ランナーにとっていい事尽くめ(?)なのですが、流石に周回となると……飽きます

 このコースはコロナ禍前によく練習していたのですが、先日久しぶりに2周走ってみて、改めて良いコースだと思いました。で、帰ろうとしたところ、郡山市青少年会館『熊のグラッチェ』なる飲食店がオープンしていることに気づきました。

 一体どんなお店なのかなと検索してみると、かなりいいかんじのお店のようです。

www.arukunet.jp

お店のインスタはこちらをどうぞ ↓

https://www.instagram.com/kuma.pizza/?hl=ja

 

 ……という訳で、本日は美味しくピザをいただくために、ただひたすら走りました。以前なにかのインタビューで高橋尚子選手がトレーニングのラスト数キロは、その後の食事のことを考えているとおっしゃっていました。僕もこの日のラスト約3kmは、ただひたすらに何を注文しようかということだけに集中して長い直線コースを駆け抜けました。

 

 前日、ネットでしっかり予習をしておいたので、迷わずリーズナブルなランチセットをハーフ&ハーフでオーダー。評判通り、お店の方がとてもフレンドリーでした。

季節のスープ:黄金カブのスープ

 寒さの中20km走った後の胃袋に優しい素材の良さがそのまま活かされた深い味わいでした。運んできてくださったスタッフの方も時々走られるそうで、いろいろもやもやしている時に走ることで得られる爽快感について話が盛り上がりました。

旬野菜のサラダ:人参のソースを選択

 一つひとつの野菜の素材の味わいがしっかり分かる一皿。ちなみにもう一つの選択肢はマスタードソースでしたが、それは次回に(……というか、肝心のピザが運ばれてくる前に僕はメニューを再び広げ、次回食べたいピザを物色していました)。

日替わり冬野菜のボロネーゼ&4種のきのことパンチェッタ

 ”みみ”のない薄焼きの生地にたっぷりの野菜。そして特筆すべきは、野菜だけではなくきのこの味も濃いという点。夢中でいただきました。……がんばって寒い中走って良かった。

 確かな素材栄養バランス的にも申し分ないメニューという点で、今後はあの10kmのコースは練習後に、この『熊のグラッチェ』で食事をするところまでがセットだな、一人自己完結してお会計に向かおうとしたところ……

なんというサプライズ!

 

 ………近々、また来ます。絶対!

 

 

The Last Dance, Dance : Without Curtain Calls

 今回は、共通テストを前日に控えて想うことを少々。

 

1.少しでもまともな英語の問題が出題されますように!

 

 今更ここで共通テストの問題点を議論するつもりはありません。僕が望むことは、コロナ禍にも関わらず、試験当日までがんばってきた受験生の、そのプロセスと熱量を正しく測る問題が出題されて欲しい、ただそれだけです。

 昨年の数学のようなことだけはあってはならないと願っています。仮に……たとえばフランスのような国だったら、不当なテストに対して学生がSNSなどを駆使し、不参加運動を呼び掛け、共通テストを一斉にボイコットすることで利用する大学や文科省を動かすレベルだったんじゃあないのかなとも思います。

 

2.がんばってきた人たちをバカにするようなことはやめて欲しい!

 

 マスク着用を拒否してトイレに立て籠もったりたり、SNSカンニングしたり、試験当日を狙った痴漢行為が懸念されたりと、負の方向へと年々エスカレートするニュースに対しては、今なお激おこぷんぷん丸です(※古いけれど自らの怒りを客観視できるという点で好きな言葉)。

 当日、不正行為をした受験生に対しては、受験資格の‟永久剥奪”くらいの処断はすべきかと。他の全国の約50万人以上の受験生の尊厳を踏みにじったという罪の重さを、メディアはもう少し真剣に議論すべきでは。

 

3.ちゃんとやってきた受験生が報われるような採点システムを!

 

 試験は皆等しく0点からのスタートですが、たとえば……

  1. 当日の朝、ちゃんと起きられたら+100点
  2. 会場までちゃんとたどりつけられたら+500点
  3. 忘れ物をしなかったら+2500点
  4. 会場スタッフに元気に挨拶できたら+5000点
  5. 試験開始時に指示に従い着席できていたら+2億点

 ……といった感じで、ごく普通にまともに試験に臨む受験生の姿勢をしっかりと点数に評価するシステムがあってもいいんじゃあないかと時々思います。

 あと、マラソン大会の給水所のスポーツドリンクやゴール後の無料の豚汁のように、会場の受験生を応援するエイドがあってもいいんじゃあないかと。

 来場した受験生に甘酒が振舞われ、昼食時には温かいなめこが、3時にバナナドーナツが提供されたら……最高だなぁ。

 

 ……明日と明後日は多分一日中落ち着かないので、とりあえず走りに出ます。目標は30km!僕が走る距離と応援してきた受験生の点数との間に何ら因果関係がないことくらいはわかっていますが、まぁ、気の済むようにさせてください。

 

 

 

 そして、16日(月)の午後から『直前講習』..…最後の授業に臨みます

 

 

行ってきました!『アニメージュとジブリ展』

 こんにちは。自称“ハードコア・ジブリスト”、英語講師の大澤です。ちなみにスタジオジブリ作品の愛好家を意味するこの“ジブリスト”という語は僕の完全オリジナルであり公式非公認ですので、ご使用に際しては自己責任でお願いします

 僕が敬虔な筋金入りのジブリストになるきっかけは、小学3年生の時にTVで見た風の谷のナウシカ。一言でいえば、あの夜は一種の天啓でした。世界観やストーリーだけでなく、作品全体に流れる熱量とリアリティ、特に各キャラクターの現実世界以上に真剣な生き方に圧倒され、その日はよく眠れませんでした。

 小学5年生の時に原作版に手を出し(……今思えばどう考えても小5が読む漫画じゃあないな)、映画館でリアルタイムで見るようになったのはとなりのトトロからです。

 今でこそジブリ作品は世界的にも評価される国民映画ですが、当時はマイナーな存在でした。僕個人の狭い経験から言えばファンどころか認知度は学年の1割未満。さらに当時はとなりのトトロ火垂るの墓が同時上映と、若干公式もご病気気味という感じがありました(……今考えても狂気としか思えない組み合わせだ)。

 

 そんなジブリストの僕ですが、須賀川市文化センターで開催されたアニメージュジブリ展』には諸事情のためなかなか行くことができませんでした。そして、ようやく今月上旬、念願の聖地巡礼(?)を果たすことが叶いました!

入場前からテンションは爆上がり!

 僕にとっての『アニメージュ』は、どちらかと言えばやや硬派路線という認識で、中学生の頃はアニメディアニュータイプの方が中二病全盛期のギザギザハートに刺さる雑誌だったため、購読は『ナウシカ』の連載が終盤に差し掛かった高校生の一時期だけでしたが、展示されていた歴代の表紙には見覚えがあるものが意外と多かった気がします。

原作ファンなら驚きの再現度!

例のヤバい石まである!

もはや歴史博物館!

 撮影できるポイントは限られていたため今回直接ご紹介できませんが、この日僕が一番感銘を受けたのは『ラピュタ』のある原画でした。崩壊しかけたラピュタに踏ん張って銃を構えるパズーの足の各指が立っていたのです。こういった細かな部分での嘘のない描写の一つひとつがまさしく絵に命を吹き込んでいたんだなぁと。そしてこのリアリティに幼少の自分は圧倒されたのだなぁと気づきました。

「父さんの言ったとおりだ(以下略)」

 

 最後に僕の一番好きな宮崎駿監督の言葉を紹介させていただきたいのですが、出典が確認できていない点をお詫びします。対談かインタビューでの「なにがキャッチ・アンド・リリースだ。釣ったら食え!」という言葉、そしてこの一種の生命倫理がブレずに描かれていたのが原作版の『ナウシカでした。未読の方は是非是非是非是非!