大澤 秋津 official blog

或る市民ランナーの内省録

Just Two Decades

 最後の授業となった先日の『直前講習』の前日、家人と老舗の焼き鳥屋さんへ。両親共にお気に入りだったこの小さな名店への再訪は、コロナ禍のためにずっと保留だった。

 開店直後の店内には我々以外の客はなく、数年ぶりにお会いした店主もお元気そうで、カウンターに設置されたアクリル板と減らされた客席以外は一切何も変わっていない。店内に流れるのは僕の生まれる前後に流行したと思われるフォークソングこの空間だけ時間の流れが緩やかな錯覚に陥る。

 78歳になるという店主は、冠婚葬祭を除いて48年間、ずっとこのお店を営業されているとのこと。こういう方の足跡を敬意をもって要約するためにあるのが鉄人という言葉なのかもしれない。そもそも、お店自体の方が僕よりも先輩だ。

 奥様を亡くされて以降は、たった一人で自分の身の回りのこととお店のことを一手に引き受けて歩んでこられた。その時間がここにあり、何も変わっていないような雰囲気の中に、その歩みはしっかり蓄積されていて、そこに自分のような若輩が座っていることに少し引け目すら感じた。

 この日まで、どういう風にしてこれまでの20年間のキャリアに一区切りをつけるのか答えを見出せないままだった。どういう風に最後の授業に臨み、そしてどうやって締めくくるのか……具体的なイメージを全く描けないまま教壇に立っていいのかと自問自答を続けていた

 でも、最初の一串(ふんわりささみにおろしたての甘いわさびを添えて)をいただく前に、すでにそれはどうでも良くなっていた。僕の20年は、店主が歩んで来られた年月のたった半分にも満たない。最後の授業を前に、これまでの月日の重さを感じることがどうしても多くなっていた時期に、より大きな尺度を目の当たりにして、正しく相対化できた瞬間だった。….…おかげで最後まで焼き鳥に集中することができた。この日いただいたコースは提供された順番通り全て詳細に描写できる。

 

 その後、来店した筋金入りの常連様から美味しい焼酎の水割りを御馳走になり(焼酎が美味しいと感じたのは初めてかもしれない)、お会計を済ませて、ずっと気になっていた『THE FIRST SLAM DUNK』をようやく見ることができた。

 映画の感想を細かく述べようとするとどうしても感傷的になるので、それはまた別な機会になるかもしれない。ただ、母が交通事故に遭って以降、自分は目の前に迫るあらゆる決断や手続きにこれまでずっとほぼ一人で対処してきて、その中で自分の気持ちにちゃんと向き合い、時に解放することすら許されていなかったこと、それを自身に一切許してこなかったことに気づかされた。沖縄に戻ったリョータが秘密基地を再び訪れたシーンで

 

 この日の夜、僕の身の上と内側で起こったことは全て必然だったと結論づけている。おかげで、何かを意識して肩肘張ることもなく、フラットな状態で最後の教壇に上がれたいつものようにやるこれが求めていた答えだったことに、チャイムが鳴った後、気づいた。何かが終わったという実感がその日の夜に湧き上がることもなく、未だにその感覚はない。

 

 先日、メンターとしてお慕いしている方と小さな居酒屋さんでお話しする機会があった。聞けばそのお店も今年で50年。表現を変えれば半世紀だ。僕のキャリアどころか僕自身よりもその歩みは長い