まぁいろいろと思うところありますが
全国の受験生の皆様、まずはお疲れ様でした。
本来、この記事は昨日アップしようと思っていたのですが、僕自身の気持ちの整理がなかなかつかず(&今もまだまだ未整理のゴミ屋敷状態で、そろそろ行政の指導が入りそうなくらいです)……でも、データリサーチが返ってくる前に、どうしても伝えたいことがあって、なんとかまとめようとしています(現在進行形)。
先に結論から言うと、今回の共通テストの英語(リーディング)で問われていたのは、英語力が3割。残りの7割は“思考力”とか“考える力”とかいう虚飾の美辞麗句にまみれた情報処理能力。それ以上でもなければ、それ以下でもありません。
今回試されたのは、飽くまでも我々がこれまで培ってきた英語の力の、局所的な一側面にすぎません。これから、各大学の独自の入試問題という形で、我々にはこれまでの努力を思う存分発揮し、最大限に試す機会が待っています。反省べきことや悔やむこと多々あると思いますが、これだけははっきり伝えたい。リーディングの点数は、受験生の英語力と努力を100%正しく反映したものではない。点数は数字。受け止めるべきは受け止め、でも、これまでやってきたことが無意味だったとはとは決して思わなくていい。無駄なもんか!
それよりも、ここからは残りの”打席”、立てるだけ立って、全身全霊で”フルスイング”です!
本日、2回目の解き直しをやってみて、改めていろいろ思うところがあります。まず、(僕も含めて)生徒を指導する立場にある人間は過去問が存在しない以上、たった2回の試行テストを徹底的に分析し、限られた模試や予想問題を駆使しながら生徒と共に対策するという選択肢が中心でした。本番当日、何の予告もなしに出題傾向を一方的に大きく変えることがこれからも無条件に許されるのであれば、正直、今後どうしたものかなと。恐らく、全国の高校の先生方など最前線に立たれている方々も同じ気持ちだと思います。
そして、高校1年生終了段階で読めるレベルの英文を、ただでさえ多かった試行テストからさらに約1400 words増やしてくるという謎の大盛無料サービス物量作戦の意図と意義が、僕にはさっぱりわかりません。ただでさえ周回遅れの国際競争において、将来この国を担っていく人材に対し、今後もこういうテストを続けていては……という危機感さえあります。
他の先進国であれば、SNSで高校生&受験生がいっせいにボイコットを表明し、市民運動によって廃止に追い込む事態が起きても不思議ではない案件です。
個人的には問4が苦痛でした。まぁ、気持ちがもう少し落ち着いたら、これからの受験生のためにきっちり対策と解法を構築していきます。
あと例の“事件”ですが、ニュースを知った直後は、他の全受験生に対する侮辱であり、怒りしかありませんでした。その後の‟49歳”とか‟トイレに立て籠もって現行犯逮捕”などの痛々しい情報が明らかになるにつれ、「俺も人間的にまだまだ未熟だけれども、どうやら道を大きく外しているわけではなさそうだな」と生きる元気と明日への活力を再認識する機会となりました。
スタッフと「なんか尾崎豊とか聴いてそうじゃない?」と話していたのですが、ネットでは早くも‟スマホから尾崎豊の曲を流していた”というニュース映像のコラが上がっおり、こういう仕事の早い人たちの卓越した能力をコロナ終息のために集結する方法があればいいのに、とも感じました。
大晦日の夜から約1週間かけて読んだ本を紹介します。
現代社会のN先生と、カミュの『ペスト』についてお話していた時に、御推薦いただいた本です。ヘッセは高校生の時に『車輪の下(に)』を読んで、すご~く暗~い気持ちになって以降、避けてきました。
この本は全く違います。生来人付き合いが苦手で、偏屈で、思春期&中二病をこじらせ、都会生活にも馴染めず、失恋も経験した大酒飲みの主人公が、人生の後半戦に突入する前後から自然に、穏やかに自己を受け入れていく過程が描かれています。
ヘッセがこの作品をを27歳にして書き上げたのは、恐らく才能に加え、さまざまな環境での人間観察と、そして自身もこうありたいという願望及びその過程にあるという実感だったのでは。
この主人公のように、もし自分の性格故に生きずらさを感じているのであれば、その苦悩の果てにあるものを示唆している、これからの指針となる本です。そして、自分のこれまでの黒歴史が少しずつ香ばしい思い出に変わり始めた時に、もう一度読まれることをお勧めします。