大澤 秋津 official blog

或る市民ランナーの内省録

激走!三春さくら湖マラソン

 コースの下見を兼ねた試走を終えてから一週間、日に数回は複数の天気予報をチェックするという心配を嘲笑うかのように、僕の情緒以上に不安定な天気は続き、いよいよレース当日を迎えました。

 今回、初めて参加させていただく『三春滝ザクラ天然記念物指定100周年記念 第24回さくら湖マラソン大会』ですが、まずは全体的に運営のレベルがしっかりしているという印象を受けました。

 特に大会駐車場の各スタッフの連携が見事で、非常にスムーズに誘導していただきました。これで荷物預かり所トイレがあとちょっとあれば……と更に欲張ってしまうのは人間の業なのでしょうか。

先週とは打って変わっての空模様

 市民ランナーとしてのデビュー戦だった2017年の円谷メモリアル(10km)及び2019年の東和ロードレース(ハーフ)共にけっこうな雨の中のレースでしたが、それぞれ会心の走りができたので、「雨に対して苦手意識はない!(……はず)」と自分に言い聞かせながら、集合時間を待つことに。

開会式の「3年ぶりの開催」のお言葉……重く響きました!

 少し強く降り始めた雨も集合時間直前に弱まり、混雑もストレスもないまま他のランナーの方々とスタート地点へ移動。スタッフの方から「40分以内で完走できる方、及びタイムを狙われる方は前の方へどうぞ」とのアナウンスがありましたが、もちろん辞退させていただきました。

 前回の郡山シティマラソンは3年ぶりの大会ということもあってか、すっかりレース感覚を忘れた状態で不安に駆られながらのゴールだったので(それでも自己ベストを更新できたのがせめてもの救い)、今回はとにかく納得のいく走りをすることが第一目標。

 より具体的には、①不安な気持ちと向き合い過ぎないこと。②しっかり走れている今の自分に意識を向けること。そして、③周囲のランナーに左右されずに自分で自分のペースをレースを通して構築していくこと

 一方で、アップダウンの激しい初挑戦のコースであることと、自分は坂に強いランナーではないことを考慮して、とりあえず目標タイムは55分以内に設定

 

 ピストルが鳴り、他のランナーとの接触もなくスムーズなスタートは切れたものの、やはり最初の1〜2kmはペースを作るのに一苦労。緊張感からかすぐに襲ってくる不安の声を前回の反省から脇に押しやり、まずは自分の身体との対話を開始。暫しの協議の結果、先週の試走段階で立てた「上り坂は我慢。下り坂では攻める」という作戦を、“足が売り切れる”ことへの懸念から「下り坂は軽く流しつつ回復を図り、上り坂はとにかく消耗を抑える」という慎重策に変更。

 レース本番モードで走ってみて改めて分かったのは、この10kmはアップダウンが小刻みに連続する難易度お高めコースであるということ。普段の練習では、3〜5km前後からペースは上向きになるはずが、今回は終始勝負をかけるタイミングが見出せないままでした。 

 3km地点の給水ポイントでちょっと咽せるという軽いアクシデントはあったものの、どうにかペースを上げようと悪戦苦闘していた5kmの標識付近で、前を走るランナーのスマートウォッチから大音量で「5km通過。26分。1km5分30秒」のアナウンス。………こういう自分本位なランナーの個人情報の垂れ流しには辟易しますが、一方で「マラソンという自分と向き合う最高のチャンスにあってなお、心に余裕と強さを見出すことができないからそんなものに頼っているのか……」と(普段と違って)雑音をすぐに意識から切ることができている自分を再発見。しっかり集中できている自分を確認しつつ後半戦へ。

 ここから8km付近に渡って、どういうわけか僕の前後50m内に他のランナーが誰もいないという奇妙な状況が続きます。普段練習で走る時は当然一人ですが、大会でこんなに一人ぼっちになるとは予想外。そして、いよいよ最後の大きな上り坂へ。

 少しでも気を緩めると足が止まりそうになる自分を「馬鹿を言え。俺はあの地獄坂を初挑戦で走り切った男だろ!」と叱責し、ゴール付近の泥濘にも負けじとダッシュをかけてゴール!そのまま倒れ込みたいところでしたが、全身キャラメルマキアートに成りかねないグラウンド状態を鑑みて辛うじて耐えました。

思ったよりは悪くないタイム

 完走証をいただいき、スタッフの方々にお礼と「また来年走りに来ます!」と(一方的に)宣言して早々と帰路へ。

 

 ………僕は自分がエントリーした種目中、上位約4分の1に食込んだ訳ですが、まだまだ練習量が足りていないな、ということはレース中から痛感していました。逆に言えば、圧倒的に不足している練習量を、単なる向き不向きといった先天的なちょっとばかりの適性でカバーしてるに過ぎない、ということ。

 この感覚は今でも時々自分の仕事に対しても感じるものです。僕の努力以上に、母方の教師の家系と、ちょっと特殊だった大澤家の家庭環境&両親の教育方針、そして英語教師としての母からの薫陶といった要因の方が圧倒的に大きく、未だそれらを凌駕どころか匹敵するほどのことすら自分は成し得ていない、と

 まぁ、まだまだ市民ランナーは続けるつもりですし、多分死ぬまで英語の勉強と教えることはやめることはできそうにないので、それこそ持久戦の覚悟で挑もうと決意を新たにした一日でした。