大澤 秋津 official blog

或る市民ランナーの内省録

技術継承

 今年度、自身に課したチャレンジの一つが英作文の添削。これまでは1対1対応、しかもリアルタイムで対話しながら修正と解説を入れていく指導が中心でした。授業を介しながら(少数とはいえ)一対多の形式で、これまでのスタイル以上のことをやり遂げることこそが、この試みの意図であり意義

 まだまだ道半ばといったところですが、この挑戦を通して‟自分がどういうタイプの英語教師であるか”そして‟自分ができることは何か”再発見再認識することの多い今日この頃。

数年前までの自分なら不可能

 

 よくよく思い返してみると、僕自身ちゃんとした英作文の指導を受けたのはこの仕事をスタートしてから。逆に言えば、それまではほとんど全く、まともに教えてもらう機会はありませんでした

 キャリアをスタートして、ようやく授業らしいことが少しは出来るようになってきた頃、気づいたのは以下の3つ

  1. ‟守備範囲”を受験英語に限定して、listening, writing, speaking から逃げてしまえば、英語を教えることはそれほど大したことではない。
  2. 先の安全圏に引き籠り、同じ教材を何年も使い、ルーティーンワーク的に楽して(でも偉そうに人格者ぶって)教壇に立つ人種もいる一方、リアルタイムで英語を学び自身の英語力を高め、それを生徒にフィードバックできる‟本物”も(圧倒的少数ながら)いる。
  3. 後者は英語以外にも常に何らかの勉強をしている。そして、当人はそれを努力や勉強だと思って行っていない。

 

 「(自分がかつて嫌いだった)受験英語しか教えられないような‟受験屋の講師”にだけは、死んでもなりたくないな」という気持ちは日に日に強くなり、僕を駆り立て、やがてcomfort zoneを早々に飛び出す原動力に。

 もう一つの要因は母の存在。まぁ、親子なので大小様々なことで衝突することは多々ありますが、この仕事を始めることによって、同じ職業人として別の角度から母と接することができる機会を得たことは大きかったと。

 代々教師の家系にもれず、母も大学の授業前は家事を終えた後、深夜まで黙々と予習を続けていました。ちなみに父も研究を時々家に持ち込んだり、それがなくとも英語の勉強なり読書なり趣味の陶芸なりといった何らかの知的活動に携わっていました。恐ろしいことにこの両名、それらを自分の純粋な興味から自然に行っていました。hungryみたいな印象はあまりなかったなぁ。そういう人間の背中を物心つく前からずって見てきたこと、そういう環境で育ったことが、今日の僕の方向性を決定したと思います。

 

 そんな母にかつて「この職業にとって、英検1級は所詮スタートライン」とよく言われましたが、実際に取得した今ではその意味が痛いほど分かります。‟受験屋の英語講師”だと4技能それぞれの実力をかなりのレベル問われる英検1級は合格不可能である一方、英検1級への挑戦を通して学ぶことが多いのも事実。今回の英作文の添削では、他ならぬ僕自身のそんな悪戦苦闘から得たものを、できるだけ還元しようと心掛けています。

 受験生として英語が壊滅的にできなかったこと(&そもそも両親への反発から中一の2学期で学校の勉強を放棄したこと)、小学校低学年の頃からやたら厳しい読書感想文の添削の風習(?)が家庭内にあったこと、キャリア初期に生徒と共に英語の勉強をちゃんとやり直してどうにか英語と和解できたこと、哲学と心理学から学んだことに内省力を併せて「生徒が何故わからないのか」を自身の経験と重ねて把握できること、そして、(反発や喧嘩しながらも)‟プロ中のプロ”というべき身近な最高クラスの実力者にマンツーマンで徹底指導していただけたこと……これらが全て今、ようやく結実してきた気がします

 

 「教えていただいたものを次の世代へ継承する」という気持ちで日々、かつての自分に向き合っています。

最近はSARASANANO 0.3mmを愛用

 


 ……先日、各都道府県の中&高の英語教育のレベルについての調査結果が発表され、復興どころか、この福島県がいつの間にか地方格差の最底辺へと没落していることが明らかになりました。確かに生徒目線で4技能バランス良く教えられる英語講師の数は全国的に不足しています。でも、僕は自分が今していることだけを見て小さな達成感と自己満足の世界に浸りきることを由とはできない性分です。

 官民共同の‟教育復興”‟教育立県”というヴィジョンに基づく英語教育プログラム、より強固な福島県独自の進学奨学金制度進学校に入れれば人生安泰”神話からの意識改革……これらに加え、今、自分にできることをどのようにより多くの、大きなものへと還元できるだろうか、思案中の日々です。