新生活スタート直前!推薦図書3選
今回はいつにも増して独断と偏見と趣味と美学に満ち満ち満ちた内容となりますことを最初にお断りさせていただきます。
そもそも読書の好みなぞ十人十色、蓼食う虫も好き好きの最たるもの。‟推薦図書3選”とありますが、最初の数ページ本気で読んでみて感性に響くものがなければ、無理に読む必要も義務もありません。趣味で読む本は「(読むか読まないかは)俺様がルール!」くらいの気持ち選ぶべきだと思います。
ただ、これから本格的な学問の世界へと足を踏み入れようとしている皆様へ敢えて苦言を呈するならば、人に勧められて本を読んでいるようなレベルは夏休みまでにお早めに御卒業ください。
人生の中で何らかの必然もしくは運命に導かれるように、本能の赴くまま本を貪る時期があった人間は、そうでなかった人とやっぱり違うものです。
今回の推薦図書の選考基準は、とてもシンプル。
- 僕が大学入学前に読んでおいてよかったと思えるもの
- これを大学生活スタート前に読んでおけばと思ったもの
- 在学中に読んでおいてよかったと思えたもの
以上の順に従ってご紹介していきます。どうしても新男子大学生向けという側面が強く出てしまっている点はご了承ください。
まずはこちらから。浪人中にハード・カバー版の挿絵の淡いタッチに魅かれ、半ばジャケ買いのような形で出会った本です。Ⅱから読んでも全く問題ありません。
また、Ⅰはジブリ作品にもなっています(ドラマ化もされたそうですが、そちらは良く存じ上げません)。
‟人は一度しか生きられないが、読書を通して他の人生も経験することで豊かに生きることはできる”みたいな格言は知っていました。それが身に染みて理解できたのが大学生の時。
今思えば僕にとってこの本は一種のワクチンで、‟免疫”を獲得していたため、ややこしく且つ困難な重要局面で、‟ほぼ最善”と今でも思えるような言動を、落ち着いてとることができました。読書はある意味、究極のケース・スタディ!
次にご紹介するのは、「ゼリーは食べる宝石です!」の名言でお馴染みの羽海野チカ先生の漫画です。連載中の『3月のライオン』もおすすめですが、あの作品の完成度に至るまでの過程と葛藤と熱量が、痛いくらいに伝わってきます。
こちらも映画化されたそうですが、そちらは良くわかりません。個人的には竹本くんがママチャリで放浪するところが特に好きです(流石に北海道までは行かなかったけれど、深夜に突然チャリに乗って徘徊する夜は僕にも何回かありました)。
‟自分探し”なる言葉がございますが、探しているその主体もまた自分である、という自戒のもと、大学在学中に是非一度は思い切り迷走してみてはいかがでしょうか。
最後にご紹介するのは、現代アメリカ文学の巨匠、ポール・オースターの自伝的(?)小説です。
大学3年生の時に妹に勧められ、3日3晩かけてじっくり読んだ本です(ちなみに妹は一晩で読んだらしい)。最初の方にある、卵が割れてしまうシーンの描写は秀逸。そこにぐっときた人は最後までお読みください。
個人的なアドバイスですが、「大学生になったし、ちょっと文学でも読んでみようかな?」と考えている方は、村上春樹作品よりも先にこういうレベルの本を翻訳版でいいので読んでおくべきです。
敢えて比喩を用いますが、本物の蟹を食べた上で、「カニかまも好き!」はアリだと思います。でも、本物の蟹を食せずに「カニかま=蟹」とするのはいかがなものかと。
そして、所謂‟ハルキスト”と呼称される自意識過剰を持て余して収集のつかなくなってしまった一部の読者がメディアによる偏向的スポット・ライトに晒されるケースが多いのは残念です。
......僕はオースターが好きだし、村上作品も読みます。そして、大学は蟹を食べる場所です。美味しい蟹を、たくさん召し上がってください。
入学式の前こそ、あの伝説の卒業記念講演を!
僕の大学の入学式は確か4月上旬に日本武道館で行われ、ハード・ロック大好きっこの当時は「ここでDEEP PURPLEがあの演奏をしたのかぁ~!」と一人思いをはせたものでした。(もちろん名盤『Live in Japan』の半分以上が大阪収録ということは知っていましたが)。
ライヴ・イン・ジャパン (ディープ・パープルのアルバム) - Wikipedia
Deep Purple - Made In Japan // BEST VERSION EVER! RARE!! HD Gold disc DCC GZS-1120 (1972)
なんとか念願叶っての哲学科入学に、どうやら期待値が勝手にインフレーションを起こしていたらしく、(2階席だったせいか)よく聞こえない式辞、誰も歌わない校歌、話も聞かず携帯いじっているその他の新入生、鳴りやまない砲火、泣き叫ぶ子どもたち、怯える老女(注:後半は嘘)にえら~く幻滅し、「なんだよ!せっかくがんばって入学したのに」と、帰り道の参道に舞い散る桜に心理的なとどめを刺され、翌日風邪までひいてしまう、それはそれは残念な一日になってしまいました(この時の反省を踏まえ、僕は全体の卒業式は参加せず、ずっと恩師と研究室でお話をしてから、学科別の式にだけ参加しました)。
まぁ、僕の黒歴史はどうでもいいのですが、これから新しいスタートを切ろうとしている皆様には、僕よりはもぅすこしマシな、ちょっと身の引き締まる門出を迎えて欲しいと切に願っています。
という訳で、今回ご紹介させていただくのは、Appleの創始者の一人、故Steve Jobs氏が、2005年のスタンフォード大学の卒業式で行った伝説的スピーチです!
大学の卒業式の式辞ですが、むしろ入学式というタイミングでこそ心に刻むべき深い示唆に満ちた内容だと確信しています。
スティーブ・ジョブス スタンフォード大学卒業式辞 日本語字幕版
最後の‟Stay hungry. Stay foolish.”で思い出すのは、昔のある生徒の言動です。超名門大学合格に浮かれまくる周囲や、新聞社の取材、手の平を返したように猫撫で声で接してくる大人たちに怒り心頭だった彼は、そのやり場のない気持ちを僕に打ち明けてくれました。
「〇〇大合格だからって、なんだっていうんですか!僕はまだ何も成し遂げていない、ただの18のガキですよ!」
彼が最高にカッコよかったのは、「授業スタート前の第2外国語の独学は楽しい!」という僕のアドバイスを覚えていてくれて、合格発表の帰り道に(第2外国語選択の正式決定とは無関係に)フランス語の辞書と文法書を買ってから挨拶に来てくれたことです。......まさに、‟Stay hungry. Stay foolish.”
杉田敏先生、お疲れ様でした。
先日、母からNHKラジオ講座『実践ビジネス英語』の今年度の終了を知り、その事実を受け止めるのにたっぷり数日を要したのですが、最後のテキストを購入して勉強を進めるうちに、改めて「本当に終わってしまうんだ......」と、まだ信じられない気持ちがぶり返す今日この頃です。
1987年からスタートし、計33年間に及んだこのNHKの最長寿語学番組を僕が聴き始めたのは2010年度の最後の方からでした。
当時、一応授業はそれらしくできるようになってきたものの、自分の英語の力にまだまだ満足できずに葛藤していたところ、母から強く勧められてチャレンジしたのがきっかけでした。
始めたばかりの頃は、会話がとんでもなく速く感じられ、それまであまり触れていなかった高度な語彙や専門用語&慣用表現などにもついていくのがやっとでした。テーマによっては全く歯が立たなかった回もあったと記憶しています。
もちろん、何度も投げ出そうと思いましたが、本能的に「ここが俺の分水嶺!」と感じ、意地で続けました。今振り返ると、あの時こそが単なる受験屋レベルで終始してしまうのか、それとも英語講師としての一歩を踏み出すのかを決定する大きな分岐点でした。
2010年度末、自分の英語力だけでなく、自分の勉強のレベルの低さに対する怒りと不満に駆り立てられた僕は、この『実践ビジネス英語』に必死で食らいつき、現在もお世話になっている英会話教室のドアを衝動的に叩き、そしてその夏に勢いに任せてNYを訪れました。これら全ては必然であり、全てこのタイミングで起きていなければならなかったと今では確信しています。
活きた英語を通して最先端のテーマに触れ、啓かれたことで、英検1級が取得できたばかりでなく、毎年最新の入試問題を分野を選り好みせずに扱い続けることができるようになりました。
今後は年4回、ムックという形で上記の教材が刊行されるそうです。もちろん、これからもお世話になりますが、杉田先生、長い間お疲れ様でした。感謝の気持ちでいっぱいです。
最終号となる3月号テキストの『はじめに』で、番組終了に言及しているのは最後のたった5行のみ。杉田先生らしいな、と感じました。その最後はこう締めくくられています。
今後、放送はなくなりますが、勉強はお続けください。さようなら。
この1文を読んだ時、自分がこの講座に対して如何に無意識に依存していたかに気づきました。「これさえ聴いておけば大丈夫!」という部分がいつの間にか大きくなり過ぎていて、僕自身の歩みはひどく緩慢なものになっていました。
これからは、自分で学び、勉強する時間も意識して増やしていかなければ。この終了を新しいきっかけにしていこうと思います!
In dreams begin the responsibilities.
10年前の今日のあの瞬間、僕は郡山校の印刷機の前で春期講習の準備に勤しんでいました。これまで経験したことがないような揺れに「まずは出入口の確保だ!」と咄嗟に判断し、すぐに教務室の裏口のドアを開き、そのまま通路を走って校舎裏口のドアを全開にしてから、状況の確認のため一度外に出ました。
あの時目にした光景と揺れは、無意識的に培われていた「揺れても最大このくらい」といった身勝手な予測を根底から崩壊させるに十分すぎる程で、パニック映画のハイライト・シーンのような状況下に他ならぬ自分がいることを認識することはできませんでした。
駐車スペースの灰皿に剥離した壁の一部が落下して、上部の銀色の金属が僕の後頭部をかすめる様に飛んで行った瞬間は今でも鮮明に覚えています。
震災と原発事故の直後、ある雑誌で当時好きだった作家の「東日本大震災から一週間、さてそろそろ復興だ」というコメントの無神経さが許せませんでした。作家という想像力が試される職業にありながら、その想像力が致命的なまでに欠落している人間の書いたものに価値を見出せなくなり、何よりその作家の人間性が一切信じられなくなって、二度と読まなくなりました。
一方で、あの時も、そしてこのコロナ禍でもよく思い出すのは、村上春樹氏の『海辺のカフカ』の以下の部分です。
全ては想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力の中から始まる。イェーツが書いている。In dreams begin the responsibilities——まさにそのとおり。逆に言えば想像力のないところに責任は生じないのかもしれない。—p. 277-278
そして、10年前のあの時以降、僕は‟人間の想像力は無限である”という‟正論”よりもむしろ、‟人間の想像力は有限である”という自覚と、その前提に立つことを座右の銘にしてきました。
2015年、母親や妹たち家族と共に気仙沼や三陸海岸周辺を見てまわりました。頭上12m上に張られた当時の津波の高さを示すロープや仮設住宅、未だ撤去されないままの陸地に打ち上げられた漁船、TVで何度も見た大川小学校......実際にその場所に立たなければ分からないことがいかに大きいかと同時に、それでも、その時にその場にいなかった自分が想像力でカバーできることがいかに小さいかも痛感しました。
2018年、僕は走るという行為を通し己の肉体と対話することで、自分の限界を決めていたのは、他ならぬ自分の想像力だったということに気づかされました。
当時の『円谷幸吉メモリアルマラソン』(ハーフ・マラソン)の練習での自己ベストは(確か)1時間52分。レース当日、僕の頭にあったのは「とにかく何としてでも1時間50分を切りたい!」ということでした。
ゴール後、左手のウォッチで1時間42分のタイムを確認し、完走証でそれが間違いでないことがわかると、自分の想像力がむしろ自分の限界を規定していたことに唖然とし、そして軽い怒りが自身に対して沸いてきました。
ゴールするまでの僕の頭には「とにかく1時間50分を切る!」しかなく、そこから先の世界については考えもしませんでした。具体的には1時間45分以内なんていうのは自分にとって到達不可能な未知の世界でした。実際は1時間42分で走れるだけのポテンシャルがあったにもかかわらず、自分で勝手に自分の限界を決めていただけだったのだ、と呆れてしまいました。
これ以降、僕は何かに挑む際には現実的な目標に加え、‟ありえないくらいとんでもなくポジティヴな未来”についても、妄想に耽らぬ程度に、ちょっとだけ考えるようにしています。
幻となった『プレミア講座』へ向けて!
2月20日(土)に行われた須賀川桐陽高校『共通テスト対策講座』のアンケートを拝見させていただきました。
当日の授業開始直前に先生方の一人から「凄いですね!昨年の満足度は98%でしたよ!」と伝えらえ、本人としては「ホントかな?そんなにスゴい数字だったのかな?」という驚きと、「もぅそっから先(数字を)上げるのはほぼムリ!」という軽いプレッシャーを感じたものの、すぐに‟集中モード”で授業に突入したため、アンケートの存在を暫く忘れていましたが、しっかりと読ませていただきました(そして翌日、もう一回読み直しました)。
12年連続となった先月の講座は、参加された生徒の皆様の積極的な授業態度のおかげで12年間の中で確実にBest 3と思えるような手応えでしたが、それが僕の空回り&自己満足に終始していまいか、とても気がかりでした。
ちなみに、いい感じで最後まで集中して授業ができた反動か、この12年間で間違いなくBest 3にランクインするほど疲れました。翌日半日寝込んでしまうくらいに。
それでも最後まで体力と集中が維持できたのは、『円谷幸吉メモリアルマラソン』以降の市民ランナーとしてのトレーニングによるところが大きかったと感じています。これからも‟須賀川で培った力で、須賀川に恩返し”を強く意識して臨もうと決意を新たにしました。
僕はもともと英語が得意ではなかったし、好きにはなりたかったけれども上手くいかないまま、どんどん苦手になって、最終的には嫌いになってしまったタイプの生徒でした(英語と‟和解”できたのは、この仕事を始めて以降です)。
だから、かつての自分のような英語に対する苦手意識を持った生徒たちが自信を持ってもらうきっかけを、少なからず提供することができて嬉しかったです。また、年に1~2回の特別講師としてモチベーションを刺激するという役割も果たせたことも何よりでした。
「具体例や体験談、喩え・比喩がわかりやすかった」という感想も嬉しかったです。その点についての技術は、僕の武器というか生命線のひとつなので。
好きでもない流行りものの漫画やアニメを追っかけて生徒との共通の話題を無理矢理探ろうとするのは、はっきり言って僕の美学に反するスタイル。‟時代と寝る”のではなく、もう少し普遍的な、根底的な部分から具体的な実感や共感を伴って理解を深めるための工夫は常に心がけているので、それがしっかりと伝わっていたことは新年度を迎えるにあたり自信になりました。
1年生&2年生ともに、とても丁寧な感想を各自がしっかりと自分の言葉で残せていることは、先生方の普段からの御指導の賜物以外の何物でもありません。
また、今回特に印象的だったのはアンケートの最後に「今日はありがとうございました!」「今日から少しずつ音読やります!」「プレミア講座もよろしくお願いします!」という感謝と決意が表されていたこと。僕自身、これが新たなモチベーションになっています。
まっすぐに、真摯に学ぼうとする姿勢はちょっとやそっとの才能や資質を凌駕するもの。そして、その姿勢は毎日の習慣や校風といった環境によるところが大きいと思います。
……対照的だったのは、かつてのある出張授業。アンケートの自由記入欄はどういう訳か上から目線のあまりにも酷いコメントが多く、参加された講師一同「二度とやるか!」と怒り心頭。せっかくの学ぶ機会を‟講師の品評会”にしちゃうのはもったいないし、そういう虚勢を張ることでしか受験に対する不安や自信&実力の無さを表現できないくらいに追い詰められていたのかな、とも思いました。
それはさておき、『プレミア講座』、いよいよ来週です!去年はコロナのために急遽中止となってしまいましたが、今年は予防&対策を徹底して開催を迎えられそうです。
こんな風に、しっかりと用心をしながらも少しずつこれまでの‟日常”を、一つひとつ取り戻していければと思います。想像力に乏しい僕には‟コロナに打ち勝つ”という精神論的スローガンが一体何を指しているのかさっぱりわかりません。
でも、着実な一歩を確実に踏み出し続けることが最終的に事態の打開につながるという気が遠くなるような途方もないプロセスを俯瞰的に想像できる力と強さは、この一年を生き延びた人間の一人として持ち得たい。
……よって、我々が去年よりも少しだけ分別を身につけ、去年よりも少しだけ、でも確実に前進した証として、『プレミア講座』も成功させたいと思っています!
卒業を迎える高校生の皆様へ
高校生活の最後が予想だにしなかった1年となってしまったことへの悔しさや、不完全燃焼な気持ち、どこまでも自分本位であり続ける大人たちに対する怒り、不条理な世界と見通しの立たないこの先への不安……どこにぶつけていいかわからないままの想いは、いろいろあると思います。でも、それでも、僕はこの言葉をまずは贈りたい。
ご卒業おめでとうございます!
先日、大好きな漫画『よつばと』(あずまきよひこ著)の最新刊を読んだ後、作品の中で丁寧に掘り下げながら描写される日常に、以前は感じなかった距離感というか、どこか遠い世界を見ているかのような感じを覚えました。カバーの帯に記された‟普通という奇跡”というキャッチ・コピーを目にして、「あぁ、そうか。この作品の世界はコロナ禍ではないんだな」と我に返ったのです。
卒業式前後に用いられる‟高校3年間”という表現にも、恐らく大きな違和感を感じていると思います。個人差はあると思いますが、‟高校2.5年間”だったり、もしかすると‟高校2.1年間”くらいの感覚かもしれません。
僕は高校生の頃、どういう訳か週末に約22時間爆睡して約1日を喪失するという貴重(?)な経験をしました。それはまぁ一種の笑い話で片付けられますが、2020年という年は自分の人生の中から永遠に失われたような感じがしています。必死にやってきたはずなのに、あっという間の1年で妙に密度というか実感に乏しく、SF作品のようにタイム・リープしてまた同じように新年度を迎えようとしている自分。そんな錯覚に時々襲われます。
でも、我々にとっての2020年は、我々なりになんとか活路を見出そうともがき続けたこの1年の密度は決して薄いものではなく、それは確かに生きられた1年です。多分、この特殊な時間を認識できるようになるのは、もう暫く後のことなのだと僕は思います。
だから、この1年は決して無駄なものではなかったし、思い通りにはいかなかったけれども、後から自分で振り返った時に自分なりの意味を見出せる時間でもある、ということを頭の片隅に置いて、これからの新生活への一歩を踏み出してください。
先日、某100均店内を歩いていると、控えめに言ってもあまり品位が感じられないピンク色の髪の若い女性が通路を塞いでいた品出し用のカートにぶつかり、大きな音を立てて床一面に崩れた商品に一瞥もくれず、振り返りもせずにそのまま歩き去りました。彼女の直後をたまたま歩いていた別の女性が声をかけたものの、自分が荷物を倒したという周囲の誤解の視線に晒されながら、悲しそうな顔で必死に拾い始めました。
その光景を目にしていた僕には怒りしかなく、とてもじゃないけどここで記すのも憚られるような罵倒の言葉を、あとほんの少しのところで叫んでいるところでした。でも、理性とか良心とかそういった類のものとはまた違う何かが僕の内で作用し、僕も散らばった商品を拾うべくその場に駆け寄りました。
「ありがとうございます」との言葉に対して、その時僕の口から出たのは今でも信じられないようなものでした。「いいえ。それに(荷物を)倒したのはあなたではないのですから。お気になさらずに」
僕よりも少し先輩と見受けられたその女性は一瞬はっとした後に、「そうですよね。そうですよね」と僕に同意とかいうレベルでない、もう少し深い了解を必死に求めていました。「僕は一部始終、全部見ていました。倒したのはあなたじゃない。だから、何も問題ないですよ」そう加えて、残りの商品を全部戻して笑顔で別れました。
......どうしてあの時、ああいう対応ができたのかはわかりません。今度同じようなケースに遭ったら、次は罵詈雑言を吐いているかもしれません。ただ、所謂‟第3波”の渦中にあって僕は医療現場の人たちをはじめとする匿名の人たちのことをずっと考えていて、できることなら自分もその末席くらいには名を連ねたいという気持ちで冬期講習に臨んでいました。
当時の手帳には、「あいつらなんかじゃない。俺たちだ。俺たちこそが、この世界を動かしているんだ」と書きなぐってありました。
カートの荷物をぶちまけ、それに気づかず、もしくは知っていながらその場を平気で離れるどこまでも自分本位な人間は一定数いるのも事実ですが、忘れていけないのは周囲の誤解に晒されながらも荷物を拾おうとする人間も確かにいるということです。そして、この世界を本当に支え動かしてきたのは、今でも動かしているのはそういう名の知れぬ人たちです。
……今回はどうも上手く話をまとめられそうにもないので、そろそろ筆を置こうと思いますが、最後に改めてこれだけはお伝えしたいのです。
御卒業おめでとう。そして、これからも俺たちの手でこの世界をしっかり動かしていこう!
世界に広めたい!常夜鍋の魅力の巻
数ある美味しい鍋料理の中でも大澤家のお気に入りは『常夜鍋(じょうやなべ)』……なのですが、どうもそれほど世間一般に知られていないようなので、今回はその魅力を御紹介させていただきたく思います。
要は、豚肉とほうれん草のさっぱりした鍋料理で、毎日でも食べ飽きないシンプル且つ奥深い味わいが『常夜鍋』と呼ばれる所以です。まずは添付しましたwikiで大まかなイメージをつかんでいただければと思います。
子どもの頃から慣れ親しんだこの常夜鍋。紹介した知人&友人は皆すべからく激ハマりです。以下に個人的ワンポイント・アドバイスを述べていきます。
大澤家で使うメインの食材&下準備は、
- 豚肉(火の通りやすい薄いものを。部位はお好みでかまいませんが、半分は薄いしゃぶしゃぶ用の豚バラが入った方がいいです。際立つ豚の脂の甘さを是非ご堪能ください)
- ほうれん草(事前に30~45秒熱湯で下茹でしたら、すぐに流水にさらして冷やす。その後、おひたしの要領でよく水を切ってから切り分けておきましょう)
- 冷凍した椎茸(普通の椎茸で十分です。冷凍することで味に深みとコクが生まれます!)
- 大根おろし(子どもの頃、鬼おろしで大根をおろすのが何故か僕の役割でした。それはともかく、別に鬼おろしでなくても問題はありません)
作り方は各家庭によって多少異なるようですが、僕はまず土鍋に水を張って昆布を2~3枚投入して暫く放置するスタイルで出汁をとります。別に土鍋にこだわる必要はありません。飽くまで僕個人の趣味と美学。
3~5時間放置したら火にかけ、豚肉の脂臭さを消すために薄切りの生姜を1~2切れ投入し、煮立つ前に昆布は取り出します。
次にお好みの大きさに切った椎茸を解凍せずにそのまま投入。その後で日本酒or調理酒を一回し入れ、煮立ったら火を止めて、いよいよ豚肉の投入となります!火が通り過ぎると肉が硬くなってしまうので余熱で火を入れるくらいのつもりで。
鍋を食卓に移したら、ほうれん草を散らしていただきましょう!ポン酢で食される御家庭が多いようですが、お勧めしたいのは昆布だしのめんつゆ&大根おろし。めんつゆは水orお湯で希釈せず、たっぷりの大根おろしとその水分でお好みの濃さに調整してみて下さい。
一年中楽しめる常夜鍋。特に冬はほうれん草の甘みが格段に違います。新鮮な旬のほうれん草が入手できる今のうちに、是非一度お試しを!